物語① 収録作品&本文
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【筒井筒】→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでて遊びけるを、おとなになりにけれ ば、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども、聞かでなむありける。
さて、この隣の男のもとより、かくなむ、
筒井筒井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
女、返し、
くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれかあぐべき
など言ひ言ひて、つひに本意のごとくあひにけり。
さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通ふ所いできにけり。さりけれど、このもとの女、悪しと思へるけしきもなくて、いだしやりければ、男、異心ありてかかるにやあらむと、思ひ疑ひて、前栽の中に隠れゐて、河内へ行く顔にて見れば、この女、いとよう化粧じて、うちながめて、
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ
とよみけるを聞きて、かぎりなくかなしと思ひて、河内へも行かずなりにけり。
まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひ取りて、笥子のうつはものに盛りけるを見て、心うがりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも
と言ひて見いだすに、からうじて、大和人来むと言へり。喜びて待つに、たびたび過ぎぬれば、
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る
と言ひけれど、男住まずなりにけり。
【芥川】※「白玉か」→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ川を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ。」となむ男に問ひける。行く先多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥に押し入れて、男、弓、やなぐひを負ひて戸口にをり。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼、はや一口に食ひてけり。「あなや。」と言ひけれど、神鳴る騒ぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば率て来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
白玉か何ぞと人の問ひしときつゆと答へて消えなましものを
【東下り】→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに。」とて行きけり。もとより友とする人、一人二人して行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。三河の国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋と言ひけるは、水ゆく川の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋と言ひける。その沢のほとりの木の陰に下り居て、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心を詠め。」と言ひければ、詠める。
唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落としてほとびにけり。
行き行きて駿河の国に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つた、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者会ひたり。「かかる道は、いかでかいまする。」と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。
駿河なるうつの山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり
富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。
なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中にいと大きなる川あり。それをすみだ川と言ふ。その川のほとりに群れ居て、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡し守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折しも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。
【小野の雪】→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
昔、水無瀬に通ひ給ひし惟喬親王、例の狩りしにおはします供に、馬の頭なる翁つかうまつれり。日ごろ経て、宮に帰り給うけり。御送りして、とく往なむと思ふに、大御酒賜ひ、禄賜はむとて、つかはさざりけり。この馬の頭、心もとながりて、
枕とて草ひき結ぶこともせじ秋の夜とだに頼まれなくに
と詠みける。時は三月のつごもりなりけり。親王、大殿ごもらで明かし給うてけり。かくしつつまうでつかうまつりけるを、思ひのほかに、御髪下ろし給うてけり。正月に拝み奉らむとて、小野にまうでたるに、比叡の山のふもとなれば、雪いと高し。強ひて御室にまうでて拝み奉るに、つれづれといともの悲しくておはしましければ、やや久しく候ひて、いにしへのことなど思ひ出で聞こえけり。さても候ひてしがなと思へど、公事どもありければ、え候はで、夕暮れに帰るとて、
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは
とてなむ泣く泣く来にける。
【梓弓】→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
昔、男片田舎にすみけり。男宮づかへしにとて、別れ惜しみてゆきにけるままに、三年来 ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろにいひける人に今宵あはむとちぎりたりけるに、この男来たりけり。「この戸あけたまへ」とたたきけれど、あけで歌をなむよみて出したりける。
あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ
といひ出だしたりければ、
梓弓ま弓槻弓年をへてわがせしがごとうるはしみせよ
といひて去なむとしければ、女、
梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにしものを
といひけれど、男かへりにけり。女いとかなしくて、しりにたちておひゆけど、えおひつかで清水のある所に伏しにけり。そこなりける岩におよびの血して書きつけける。
あひ思はで離れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる
と書きて、そこにいたづらになりにけり。
【姥捨て山】※「姥捨」→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
信濃国に更級といふ所に、男住みけり。若き時に、親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、この妻の心憂きこと多くて、この姑の、老いかがまりてゐたる を、常に憎みつつ、男にもこのをばの御心のさがなくあしきことを言ひ聞かせければ、昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。これをなほ、この嫁、所狭がりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、「持ていまして、深き山に捨てたうびてよ」とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。
月のいと明かき夜、「嫗ども、いざたまへ。寺に尊きわざすなる、見せ奉らむ」と言ひけれ ば、限りなく喜びて負はれにけり。高き山のふもとに住みければ、その山にはるはると入り て、高き山の峰の、降り来べくもあらぬに置きて逃げて来ぬ。「やや」と言へど、いらへもせで、逃げて家に来て思ひをるに、言ひ腹立てけるをりは、腹立ちてかくしつれど、年ごろ親 のごと養ひつつ相添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。この山の上より、月もいと限りなく明かく出でたるを眺めて、夜一夜、いも寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける。
わが心なぐさめかねつ更級や姥捨山に照る月を見て
と詠みてなむ、また行きて迎へ持て来にける。
それより後なむ、姥捨山と言ひける。「慰めがたし」とは、これが由になむありける。
【光る君誕生】※「光源氏の誕生」→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。はじめよりわれはと思ひあがり給へる御方々、めざましきものに おとしめそねみ給ふ。同じほど、それより下﨟の更衣たちは、まして安からず。朝夕の宮仕へ につけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふつもりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよ飽かずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえはばから せ給はず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
上達部、上人なども、あいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れあしかりけれと、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもて悩みぐさになりて、楊貴妃のためしも引きいでつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひ給ふ。父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方々にもいたう劣らず、何事の儀式をも もてなし給ひけれど、とりたてて、はかばかしき後見しなければ、ことある時は、なほよりどころ なく心細げなり。
前の世にも、御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉のをのこみこさへ生まれ給ひぬ。いつしかと心もとながらせ給ひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる児の御かたちなり。一のみこは、右大臣の女御の御腹にて、よせ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづき聞こゆれど、この御にほひには並び給ふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづき給ふことかぎりなし。
はじめよりおしなべての上宮仕へし給ふべききはにはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせ給ふあまりに、さるべき御遊びの折々、何事にもゆゑある事のふしぶしには、まづまう上らせ給ひ、あるときには、大殿篭り過ぐして、やがて候はせ給ひなど、あながちに御前去らずもてなさせ給ひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この御子生まれ給ひてのちは、いと心ことに思ほしきおきてたれば、坊にも、ようせずは、この御子のゐ給ふべきなめりと、一の御子の女御は思し疑へり。人よりさきに参り給ひて、やむごとなき御おもひなべてならず、御子たちなどもおはしませば、この御方の御いさめをのみぞ、なほ煩はしう、心苦しう思ひ聞こえさせ給ひける。かしこき御蔭をば頼み聞こえながら、おとしめ傷を求め給ふ人は多く、我が身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなる物思ひをぞし給ふ。御局は桐壺なり。
【北山の垣間見】※「若紫と の出会ひ」→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮れのいたう霞みたるに紛れて、かの小柴垣のもとに立ち出で給ふ。人々は帰し給ひて、惟光朝臣とのぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏すゑ奉りて行ふ、尼なりけり。簾少し上げて、花奉るめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかな、とあはれに見給ふ。
清げなる大人二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなれたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えて、うつくしげなる容貌なり。髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔 はいと赤くすりなして立てり。「何事ぞや。童べと腹立ち給へるか。」とて、尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見給ふ。「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠のうちに籠めたりつるものを。」とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、「例の、心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。烏などもこそ見つくれ。」とて 立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母とこそ人言ふめるは、この子の後見なるべし。
【かぐや姫の誕生】※「かぐや姫の生い立ち」→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さかきの造となむいひける。その 竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見る に、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁いふやう、「我、朝ごと夕ごとに見る竹の中 におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり。」とて、手にうち入れて、家へ持ちて来ぬ。妻の媼にあづけて養はす。美しきこと 限りなし。いとをさなければ、籠に入れて養ふ。竹取の翁、竹を取る に、この子を見つけて後に竹取るに、節をへだてて、よごとに、黄金 ある竹を見つくること重なりぬ。かくて、翁、やうやう豊かになりゆく。この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。
三月ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、髪上げ などさうして髪上げさせ、裳着す。帳の内よりも出ださず、いつき養ふ。この児のかたち、けうらなること世になく、屋の内は暗き所なく光満ちたり。翁、心地悪しく苦しき時も、この子を見れば苦しきこともやみぬ。腹立たしきことも慰みけり。翁、竹を取ること、久しくなりぬ。いきほひ猛の者になりにけり。この子いと大きになり ぬれば、名を三室戸斎部の秋田を呼びてつけさす。秋田、なよ竹のかぐや姫とつけつ。このほど、三日うち上げ遊ぶ。よろづの遊びをぞしける。男はうけきらはず呼び集へて、いとかしこく遊ぶ。世界 のをのこ、貴なるも賤しきも、いかでこのかぐや姫を得てしかな、見てしかなと、おとに聞きめでてまどふ。
【天人の迎え】※「かぐや姫の昇天」→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
かかるほどに、宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり、昼の明かさにも過ぎて光りたり。望月の明かさを十合はせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りて下り来て、土より五尺ばかり上がりたるほどに立ちつらねたり。内外なる人の心ども、物におそはるるやうにて、あひ戦はむ心もなかりけり。からうじて思ひ起こして、弓矢を取り立てむとすれども、手に力もなくなりて、なえかかりたる中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、外ざまへ行きければ、あひも戦はで、心地ただ痴れに痴れて、まもりあへり。
立てる人どもは、装束の清らなること、物にも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋さしたり。その中に王とおぼしき人、家に、「造麻呂、まうで来」と言ふに、猛く思ひつる造麻呂も、物に酔ひたる心地して、うつぶしに伏せり。いはく、「汝、幼き人、いささかなる功徳を翁つくりけるによりて、汝が助けにとて、片時のほどとて下ししを、そこらの年頃、そこらの黄金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪のかぎり果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く。あたはぬことなり。はや返し奉れ。」と言ふ。翁答へて申す、「かぐや姫を養ひ奉ること二十余年になりぬ。『片時』とのたまふに、あやしくなりはべりぬ。また異所にかぐや姫と申す人ぞおはしますらむ。」と言ふ。「ここにおはするかぐや姫は、重き病をし給へば、え出でおはしますまじ。」と申せば、その返り事はなくて、屋の上に飛ぶ車を寄せて、 「いざ、かぐや姫。きたなき所にいかでか久しくおはせむ。」と言ふ。立て籠めたる所の戸、すなはちただ開きに開きぬ。格子どもも、人はなくして開きぬ。嫗抱きてゐたるかぐや姫、外に出でぬ。えとどむまじければ、たださし仰ぎて泣きをり。
竹取、心惑ひて泣き伏せるところに寄りて、かぐや姫言ふ、「ここにも心にもあらでかくまかるに、上らむをだに見送りたまへ」と言へども、「なにしに、悲しきに見送り奉らむ。われをいかにせよとて捨てては上りたまふぞ。具していでおはせね」と泣きて伏せれば、心惑ひぬ。「文を書き置きてまからむ。恋しからむをりをり、取りいでて見たまへ」とて、うち泣きて書くことばは、 「この国に生まれぬるとならば、嘆かせ奉らぬほどまではべらで過ぎ別れぬること、かへすがへす本意なくこそ覚えはべれ。脱ぎおく衣を形見と見たまへ。月のいでたらむ夜は、見おこせたまへ。見捨て奉りてまかる空よりも、落ちぬべきここちする」と書き置く。
【天の羽衣】→口語訳・品詞分解・練習問題が必要な人は注文ページへ!
天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣入れり。またあるは、不死 の薬入れり。一人の天人言ふ、「壺なる御薬奉れ。きたなき所のもの 聞こしめしたれば、御心地あしからむものぞ。」とて、持て寄りたれ ば、わづかなめ給ひて、少し形見とて、脱ぎ置く衣に包まむとすれば、ある天人包ませず。御衣を取りいでて着せむとす。そのときに、かぐや姫、「しばし待て。」と言ふ。「衣着せつる人は、心異になるなりといふ。ものひとこと言ひ置くべきことありけり。」と言ひて、文書く。天人、「遅し。」と、心もとながり給ふ。かぐや姫、「もの知らぬことな宣ひそ。」とて、いみじく静かに、おほやけに御文奉り 給ふ。あわてぬさまなり。「かく、あまたの人を給ひてとどめさせ給へど、許さぬ迎へまうで来て、とりゐてまかりぬれば、くちをしく 悲しきこと。宮仕へつかうまつらずなりぬるも、かくわづらはしき 身にて侍れば、心得ずおぼしめされつらめども、心強く承らずなり にしこと、なめげなるものにおぼしめしとどめられぬるなむ、心に とどまり侍りぬる。」とて、
今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひいでける
とて、壺の薬添へて、頭中将呼び寄せて、奉らす。中将に、天人取り て伝ふ。中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁を、いとほしく、かなしと思しつることも失せぬ。この衣着つる人は、もの思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人具して、昇りぬ。
その後、翁、媼、血の涙を流して惑へど、かひなし。あの書き置きし文を読みて聞かせけれど、「なにせむにか命も惜しからむ。誰がためにか。何事も用もなし。」とて、薬も食はず。やがて起きもあがらで、病み臥せり。中将、人々引き具して帰り参りて、かぐや姫 をえ戦ひとめずなりぬること、こまごまと奏す。薬の壺に御文そへ て参らす。広げて御覧じて、いといたくあはれがらせ給ひて、物もきこしめさず。御遊びなどもなかりけり。大臣、上達部を召して、「いづれの山か天に近き。」と問はせ給ふに、ある人奏す、「駿河の国 にあるなる山なむ、この都も近く、天も近く侍る。」と奏す。これを 聞かせ給ひて、
あふこともなみだにうかぶ我が身には死なぬ薬も何にかはせむ
かの奉る不死の薬壺に文具して、御使に賜はす。勅使には、つきのいはがさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべきよし仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せ給ふ。その よし承りて、士どもあまた具して山へのぼりけるよりなむ、その山 を「ふじの山」とは名づけける。その煙、いまだ雲の中へ立ちのぼりけるとぞ、いひ伝へたる
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